【長崎】福山雅治さんが歌ったクスノキに会いに行こう―被爆樹木から平和と命を考える―

*本記事は一部プロモーションを含みます

2025年。戦後80年という大きな節目の年。

長崎出身のアーティスト福山雅治さんが、ふたたび故郷に立ち返り、平和への想いを発信し始めています。

その背景には、原爆を生き延びた「被爆クスノキ」の存在がー。

2014年に発表された福山さんの楽曲『クスノキ』が、新たに編曲され『クスノキー500年の風に吹かれてー』が2025年6月30日にリリースされました。さらに8月9日の長崎原爆投下の”あの日”には長崎にて、福山さんとお客さんとで歌う『クスノキー500年の風に吹かれてー』が全国に向けて生中継されます。(NHK音楽特番「MUSIC GIFT 2025 あなたに贈ろう 希望の歌」)


クスノキ-500年の風に吹かれて-

福山さんがラジオやインタビューでたびたび語る「長崎への想い」。彼が生まれ育ったこの街には、忘れてはいけない“あの日”の記憶があります。その記憶を今に語り継ぐように、山王神社にそびえ立つ2本のクスノキは、原爆を受けながらも生き残り、今も青々と葉を茂らせています。

今回は、そのクスノキに会いにいってきました。本物を見たからこそしみてくる楽曲「クスノキ」の歌詞にみえる福山さんの想いをしっかり受け止めてきましたのでレポートいたします。

目次

被爆クスノキとは

1945年8月9日、11時02分ー。長崎に原子爆弾が投下されました。その破壊力は15キロ先まで及び、特に1,2キロ範囲では人は即死、建物は粉砕、植物の幹枝も焼失、切断されてしまいました。

爆心地から800mのところにある山王神社も例外でなく、境内のクスノキも黒焦げの幹だけが残った状態でした。

しかし、被爆から2か月後新芽が芽生え、現在にいたるまで大きなクスへと成長をとげます。その姿は、被爆して絶望の淵にいる地元の人たちに希望と勇気を与えてくれたといいます。

長崎市には被爆後も辛うじて生き残った樹木を「被爆樹木」といい、保存対象の被爆樹木は50本あります。

その中で福山雅治さんの「クスノキ」という曲は、山王神社の大クスをモデルに作られました。

長崎クスノキプロジェクトとは

長崎には、原爆の爆風や熱線を耐え抜き、今も生き続ける50本の「被爆樹木」が存在します。長崎クスノキプロジェクトは、そんな長崎の「被爆樹木」の保全、保護を行い、存在を広く知ってもらうことで、戦争の記憶、被爆の実相を伝え、「命の逞しさ、そして平和への願い」を次世代へとつないでいくプロジェクトです。

ながさきの平和ホームページより

このプロジェクトの総合プロデューサーは福山雅治さんです。2020年に立ち上げ、様々な活動が行われています。

「クスノキ基金」でライブやホームページに寄せられた募金をすべて長崎市に寄付するなどクスノキの保全から平和への発信を精力的におこなっています。

詳細は、長崎クスノキプロジェクトホームページをご確認ください。

行き方

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